羽田から九州へ移動する間に電子書籍で読んだ小説です。
「黄金峡」城山三郎
この小説は、福島県南会津の田子倉ダムの建設をめぐる「田子倉ダム補償事件」をモデルとしていると言われています。
「黄金峡」の物語は、東北地方の静かな山村に、日本最大のダム建設計画が持ち上がったことから始まります。長年、先祖伝来の土地に愛着を持って暮らしてきた村人たちと、ダム建設のために村に乗り込んでくる開発側の間で、激しい交渉が繰り広げられます 。
物語の中心となるのは、多額の立ち退き補償金を巡る村民たちの動揺と葛藤です 。その過程で、純朴だった村民たちの人間関係は複雑に絡み合い、欲望や疑念が渦巻くようになります。ダム建設は、自然豊かな山村の風景を一変させるだけでなく、そこに住む人々の心をも蝕んでいく様子が描かれています。
田舎教師さんも記事を書いておられます。ちゃんとしたレビューが読みたい方はそちらがおすすめです。
個人的には田舎の不動産の価値が今と昔であまりに違うことが引っ掛かる
これは小説とはいえ実際の「田子倉ダム補償事件」をモデルとしているといわれているので、昨年亡くなった父親が持っていた田舎の不動産の始末に困っている私としては、今とのギャップにどうしても思いが行ってしまいます。
小説では各世帯に1,000万円以上、物語の中心にいる喜平次という老人の家には2,000万円近い補償金が支払われています。
2,000万円というと、当時の大卒初任給(昭和30年で 8,700円)から換算すると
現在の5億円から6億円に相当します。
一方、今の日本では、田舎の田畑や山林や家屋敷がたくさん放置されています。驚くことに日本では、所有者不明の土地が九州全土よりも広い面積に及んでいるそうです。数年後には北海道を超えるという話です。
こうしたなかで2024年から相続登記の義務化が始まりましたが、それだけに当事者としては「タダでも良いから誰かもらってくれないか」と思っています。
実際に田舎に住んでいる従兄のところには、そのような要望がいくつも来ているそうですが、全部「いらない」と言って断っていると言っていました。
70年前は数億円で補償された田舎の田畑や山林や家屋敷が、いまは無価値どころかマイナスの財産=負動産になってしまうとは…感慨深い(?)ものがあります。
庶民は急に大金を得ても幸せになれないなぁ
作者の城山三郎は、この作品の後書きで、「主題のひとつは、金銭というものが、いかに人間を動かし、人を変えていくか、というところにある」と述べていて、金銭に動じない人間の魅力も示唆しつつも、金銭による充足の限界や、欲望の肥大化、そして最終的には土地を失った悲しみだけが残る可能性について言及しています。
現在でも宝くじで高額当せんしたがゆえに不幸になった人の話を聞くことがあります。
私も知人から、その知人の義弟が慣れない大金を持ったために、連日高級バーの酒に溺れるようになったこと、夜中に車に轢かれて亡くなったこと、半ば自殺のような亡くなり方だったこと、という話を聞いて驚いた覚えがあります。
大金を得ても(私にはその機会はないと思いますが…)自分を失わず、足るを知る暮らしをしたいものです。
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